二つ目さんインタビュー              古今亭駒次さん―1

古今亭駒次さん
志ん駒師匠の一番弟子で、オリジナルの新作も手がける古今亭駒次さん。「鉄道戦国絵巻」「爆走! 迷登路一家」など鉄道ものの新作は、落語ファンの間ではすっかりおなじみになりました。古典だけではなく、新作の分野での活躍が大いに期待される若手の一人です。爆笑ブログ「コマジノソーシ」もおすすめ!

「圓丈師匠に『新作をどんどん書きなさい』と
声をかけていただいて勇気を得ました」



――大学時代に落語にはまったそうですが、それ以前は?
駒次 父が落語好きで、保育園ぐらいのころ、NHKラジオの「真打ち競演」(※1)て番組、録音してくれたんです。そこに入ってた米丸師匠(※2)の「もらい風呂」や漫才を延々、聴いてました。その後はさっぱり聴かなくなって。
――高校を卒業して渡米したのは留学ですか?
駒次 音楽が好きで、異常にアメリカに憧れて「行きたい、行きたい」って言ってたら、親戚の知人のつてで日本食レストランで働けることになったんです。ニューヨークって聞いたんですけど、行ったらフィラデルフィアで。極度のホームシックにかかって、半年で帰ってきました。
――ブログのプロフィールにも書いてありますね。これはウケ狙いじゃなくて?
駒次 ほんとに、あたしダメみたいで。着いたその日にホームシックになりました。
――ええ〜!? そんなに憧れてたアメリカなのに。
駒次 就労ビザもないし、従業員もお客さんも日本人ばっかりで、英語しゃべる機会がほとんどない。仕事は月曜日が休みだったんですか、月曜はブロードウェーも休演なんです。こりゃダメだと。
――プロフィールに「学生時代に新宿末廣亭を発見」とあるのもネタじゃなくて?
駒次 ほんとですよ。寄席だっていうのは知ってましたけど、古い建物があるって聞いて行ってみたんですよね。
――落語じゃなくて建物見るのが目的で?
駒次 そうです。その日は圓歌、川柳、圓菊(※3)、この3人の師匠が出演されていたのを覚えてます。すんげえ面白いと思いましたね。圓菊師匠は古典、圓歌師匠は「中沢家の人々」(※4)、川柳師匠は軍歌ですね。次の日、学校で「川柳ってすごいやつがいる」って言ったんですが、当然みんな乗ってこない。一人でその芝居、10日間のうち、3回ぐらい行きました。何日か後に次の芝居に行ったら、今度は権太楼師匠(※5)が面白くて、すっかり落語にはまっちゃいました。
――それから寄席に通い詰めて?
駒次 一人でたまに行った程度ですよ。クラシックの吹奏楽部でホルン吹いてましたから。4年間やっても、満足に音が出せなかったんですけど。3年のとき団長も務めました。
――ホルン吹けないのに? 落語家になろうと思い始めたのはいつごろですか?
駒次 大学2年ぐらいかなあ。噺家ってしゃべれればいいわけだから、(自分も)できると思っちゃうんですよ。うちの師匠(※6)を聴いてからですね、本気でなりたいと思い始めたのは。 →続き



古今亭駒次

※1 NHKラジオ第1で月曜・午後9時05分〜55分に放送
※2 桂米丸。1925年、神奈川県生まれ。落語芸術協会顧問
※3 三遊亭圓歌(1932年、東京都生まれ。落語協会最高顧問)
   川柳川柳(1931年、埼玉県生まれ)
   古今亭圓菊(1928年、静岡県生まれ。落語協会理事)
※4 圓歌師匠の代表作の一つ。1970年の三代目・圓歌襲名後の作品。
※5 柳家権太楼。1942年、東京都生まれ。落語協会常任理事
※6 古今亭志ん駒。1937年、埼玉県生まれ。63年に五代目古今亭志ん生に入門。師匠の死去に伴い、10代目金原亭馬生門下へ移籍。76年の真打昇進後に三代目・志ん朝門下へ。落語協会理事



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